2022年のNHK大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。鎌倉時代の2代執権・北条義時(ほうじょうよしとき)の人生を描いたドラマです。主役の義時を演じるのは小栗旬さん!
そこで今回は、「鎌倉殿の13人」の13人について大調査!
- 鎌倉殿の13人って誰?
- どんな人がいたの?
- 主人公の義時とどんな関係?
などについてまとめてみました。大河ドラマが気になる人もそうでない人も、よければご覧くださいね!
Contents
「鎌倉殿の13人」のざっくりあらすじ
まず最初に、「鎌倉殿の13人」のざっくりとしたあらすじをご紹介します。
舞台となるのは、平安時代後期から鎌倉時代初期。主人公の北条義時は、伊豆の弱小豪族の次男でした。ちなみに義時のお姉さんは、その後鎌倉幕府を開く源頼朝に嫁ぐ北条政子です。
源頼朝は流刑となっていた間、北条政子と結婚。それをきっかけに義時の運命の歯車は大きく回り始めます。その後、平家に立ち向かうべく頼朝は挙兵。政子の実家である北条一門はそんな無謀な頼朝の挑戦に協力するのです。
頼朝の第一の側近となった義時の活躍もあり、頼朝は平家一門を打ち破り鎌倉幕府を開きます。しかし7年後、謎の死を遂げる頼朝。
その頼朝のあとを継ぎ、二代将軍についたのは、息子の源頼家でした。その後、三代将軍になったのは頼家の弟の源実朝。次から次へと将軍が変わる裏には、義時と御家人たちによる政治的な駆け引きがあったのです。
三代目将軍・源実朝が亡くなり、源氏の正統が途絶えたとき、幕府の頂点に立ったのは義時でした。しかしちょうどその頃、都では後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げていたのです。幕府存続の命運を賭け、義時が最後の決戦に挑むのが「承久の乱」。ドラマはここまで描かれます。
13人って誰のこと?
あらすじを読んでも、どこにも13というキーワードは出て来ず、ますます謎は深まるばかり。一体、13人とは誰のことなのでしょう。
実はこの13人という言葉は、「十三人の合議制」という政策から来ています。
「十三人の合議制」とは、鎌倉幕府を開いた頼朝が亡くなったあとにできた制度です。頼朝の子ども・源頼家が二代将軍となりましたが、その時頼家はまだ18歳。
日本では奈良時代から男子は12~16歳になると元服(成人とみなされる)したので、10代で家督を継ぐのは決して珍しいことではなかったかもしれません。でも父は平氏を滅ぼし鎌倉幕府を開いた偉大な人物。頼家が大変な重圧に苦しんでいたことは予想できます。
そこで誕生したのが「十三人の合議制」です。
未熟な頼家をサポートする……というより、頼家の政治的手腕に不安を抱いた者が有力者による合議制でした。その有力者に選ばれたのが、源頼朝に仕えた13人だったのです。
13人のうち、8人は経験豊富な後家人、4人は京都出身の官僚、そして北条義時。義時はこの時38歳で最年少でした。
経験豊富な有力者が若き将軍をサポートするというと聞こえはいいですが、初代将軍・頼朝が亡き後、幕府の主導権を握ろうとしたのは、貴族出身の官僚でした。
御家人としては、貴族に政治を牛耳られることは何としても防ぎたい。二代将軍・頼家に権力が集中するのを防ぎたい。
そういったそれぞれの思惑が渦巻く「十三人の合議制」は、決して円満なものとは言いがたく、すり寄り・足の引っ張り合い・裏切りの内部闘争を始めるというなんとも皮肉な展開となってしまいます。
そんな欲望渦巻く13人はどんな人たちだったのか、次は詳しく見ていきますね!
「十三人の合議制」のメンバーとは?
二代将軍・頼家の時から始まった「十三人の合議制」。そのメンバーを紹介していきましょう。
北条義時(ほうじょうよしとき)
ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公。源頼朝の妻・北条政子の弟。頼朝に信頼されて側近として活躍し、父・時政の失脚後は執権として幕政に関わります。
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ドラマでは小栗旬さんが演じます。
北条時政(ほうじょうときまさ)
義時の父親で、流刑されていた源頼朝の挙兵を援助した人物。鎌倉幕府の初代執権。後々に謀反を企てて、息子の義時に伊豆に幽閉されてしまいます。ドラマでは坂東彌十郎さんが演じます。
梶原景時(かじわらかげとき)
この人物は有名ですね。実は平家方にありながら、頼朝の味方となった武将。後に義時の父・北条時政に滅ぼされます。ドラマでは中村獅童さんが演じます。
比企能員(ひきよしかず)
鎌倉幕府の有力御家人。源頼朝の乳母である比企尼の甥っ子。後に義時の父・北条時政に滅ぼされます。ドラマでは佐藤二朗さんが演じます。
安達盛長(あだちもりなが)
鎌倉幕府の有力御家人。同じ「鎌倉殿の13人」のメンバー・足立遠元の弟という説もあります。源頼朝の流人時代からの側近で、北条政子と頼朝の縁結びに関わったという話もあるとか。ドラマでは、野添義弘さんが演じます。
和田義盛(わだよしもり)
杉本義宗(三浦義明の長男)の子で、幕府の侍所の別当を務めました。最後は義時と争い、滅ぼされます。横田栄司さんが演じます。
大江広元(おおえひろもと)
大江広元は戦国武将・毛利元就の先祖なのだそう。同じ「13人」のメンバー・中原親能の弟でもあります。頼朝に招かれて鎌倉に下向してきた公家で、もともとは朝廷の下っ端の役人でした。貴族出身の官僚として、公文所・政治の別当(べっとう/最高責任者)を務めました。ドラマでは、栗原英雄さんが演じます。
三善康信(みよしやすのぶ)
ちょっとややこしいですが、母は頼朝の乳母の妹。頼朝に誘われて鎌倉に下向し、問注所(現代で例えるなら裁判所)の初代執事を務めました。ドラマで彼を演じるのは小林隆さんです。
三浦義澄(みうらよしずみ)
頼朝の挙兵時に、父・三浦義明とともに石橋山に駆け付け、壇之浦の戦いでは大きな活躍を見せました。頼朝が征夷大将軍の辞令を受けた際、その辞令を受け取ったのが義澄です。ドラマでは佐藤B作さんが演じます。
中原親能(なかはらちかよし)
大江広元の兄。幕府の草創期に頼朝に招かれて下向した公家出身の御家人。幕府の政務・財政を担当する公文所では、寄人(よりゅうど)に任じられました。
二階堂行政(にかいどうゆきまさ)
家柄のよい公家出身の人物。頼朝の母の従弟にあたる人で、幕府の政務・財政を担当する公文所では、寄人(よりゅうど)に任じられ、朝廷との交渉事を引き受けていました。
足立遠元(あだちとおもと)
武蔵国足立郡を本拠とした豪族で、頼朝の父の代から源氏につかえていました。源頼朝が流刑していた頃から仕えていた安達盛長は叔父にあたると言われています。幕府の公文所では、寄人(よりゅうど)に任じられました。
八田知家(はったともいえ)
鎌倉幕府御家人。小田氏の始祖であり小田城の築城者。葦屋浦の戦いに参戦し、平氏の滅亡に貢献しました。
どうですか?見てみると、同じ「十三人の合議制」に選ばれたメンバーなのに、滅ぼしたり滅ぼされたりなんともドロドロ。
でも鎌倉幕府が開かれる前までは、みんな頼朝を支えて平家滅亡に貢献したという点では共通しているんですよね。
政治的な立場から見て、無理やりチームを作ってみると……
- 北条氏チーム(北条時政、北条義時)……頼朝の妻・政子の実家である北条氏
- 比企氏及び縁近いものチーム(比企能員、安達盛長)……頼朝の乳母・比企尼の嫁ぎ先である比企氏
- 三浦氏及びその一族チーム(三浦義澄、和田義盛)……頼朝を助けて活躍した三浦一族とそれに近いもの
- そのほかの有力武士チーム(八田知家、足立遠元、梶原景時)……梶原景時は頼朝側近筆頭と言われた功労者。八田知家、足立遠元も頼朝からの信頼厚い
- 実務官僚チーム(大江広元、三善康信、中原親能、二階堂行政)……大江広元ら実務官僚も幕府の運営に欠かせない存在
人数的にも 実務官僚の4人が最大で、人数的にも各チーム、バランスはうまくとれてる感じです。
13人の名前の覚え方は?
それにしても、安達に足立と読み方同じで漢字が違ったり、三浦に三善と紛らわしかったり、二階堂に八田・三浦など漢数字使った名字も多くてごちゃごちゃしますね。
・数字系(二階堂、三浦・三善、八田)は4人、
・大中とサイズ系は(大江、中原)は2人、
・比企、和田、梶原(ヒッキーとアッコとカジサック)
……ってどうでしょう?
よければ参考にしてみてくださいね。
まとめ
「鎌倉殿の13人」は、二代将軍・源頼家の政治手腕を不安視する13人の有力者でした。最後に頂点に立つのは義時。ドラマではどのように描かれるのか楽しみですね!
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