2022年のNHK大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。主人公は、鎌倉幕府2代執権の「北条義時」で、小栗旬さんが演じます。
そこで、ドラマをもっと楽しく見るために、「鎌倉殿の13人」の聖地巡礼・ゆかりの地をご紹介!
今回は合戦の場や重要なシーンの舞台となった場所をテーマに、聖地巡礼やゆかりの地巡りにおすすめの場所を集めてみました。
北条家や源頼朝などゆかりの地の紹介はこちら↓
「鎌倉殿の13人」の13人のゆかりの地はこちらで紹介してます↓
近くにあるなら訪ねてみるもよし、住所も記載したのでグーグルマップのストリートビューで見て、旅気分を味わうのもよし。ドラマを見ながらあれこれ思いを巡らすのもいいかも。それではゆっくりご覧くださいね。
Contents
伊豆の流刑地~安房の国上陸
北条氏邸跡(円成寺跡)(静岡県伊豆の国市)
鎌倉幕府の執権を務めた北条氏の本貫地の居館跡。今は発掘作業が終わり、草原(くさはら)がただ広がるのみ。
北条氏邸跡(円成寺跡) 鎌倉幕府150年の栄華盛衰はこの地より始まります。幼き政子と弟義時の夢もここから始まります。源氏の世が終わりを告げ、北条氏が幕府を支えて行きます。やがて時代は下り新田義貞の軍勢により幕府は滅亡し、僅かに生き残った女達がここ円成寺に入ったそうです。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/Ulnye33vtU
— 前ちゃん@伊豆長浜城代 (@maechan30) August 29, 2021
静岡県伊豆の国市寺家13
伊豆箱根鉄道駿豆線 韮山駅から徒歩13分
石橋山古戦場(神奈川県小田原市)
源平合戦の古戦場のひとつ。頼朝にとっては負け戦となりますが、この時に後の「鎌倉殿の13人」の一人となる梶原景時と出会います。
石碑や史実の解説なども設置されており、源氏と平氏の戦いの経緯を知ることができます。
石橋山古戦場を散策♪ pic.twitter.com/GJGYVls2WL
— ひらまささん。 (@hiramasa1118) September 22, 2021
JR「早川」下車、バス「石橋」下車徒歩12分
神奈川県小田原市石橋
土肥椙山巌窟(しとどの巌)(神奈川県湯河原市)
しとどの巌は、石橋山の戦いで敗れた源頼朝や土肥実平らが、追手の平氏から身を隠したと言われる洞窟です。当時、敵だった梶原景時と出会ったのもこのあたりと思われます。
洞窟の中には20体以上もの石仏が安置されて、独特の雰囲気。
土肥椙山巌窟(しとどの窟)は実に見応えある石仏群かつ源頼朝伝承の史跡だったのだが、湯河原駅からの入り口までの路線バスが去年廃止されていたことをつゆ知らず、駅から徒歩で片道1時間半くらい歩くこととなった…最後の1キロは割と急峻な山道でしんどかった。 pic.twitter.com/WTCtXxF6qu
— うすぼんやり (@gudoon_gudeen) February 21, 2021
神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋
JR湯河原駅より 元箱根行バス に乗車「しとどの窟」バス停下車(乗車時間 約30分) 徒歩10分
真鶴 岩海岸(神奈川県真鶴町)
石橋山の戦いで敗れ、洞窟で身を潜めた源頼朝。その後、房総に勢力を持つ上総広常と千葉常胤に協力を要請するため、安房国(千葉)に向かうために真鶴に下ります。その房総半島へ向けて船出したと言われている場所が真鶴の岩海岸です。
真鶴の岩海岸に来ました。 pic.twitter.com/mPdPhAyFMN
— Fed-F (@D_2_5massan) September 30, 2020
JR「真鶴」駅から徒歩で20分
神奈川県足柄下郡真鶴町岩957-1
源頼朝上陸地の碑
真鶴から小さな船に乗り、安房国にたどり着いた源頼朝。その上陸した地と言われているのが、千葉県の鋸南町竜島付近です。房総の有力者から加勢を得ることができた頼朝は、再び平氏を滅ぼすために立ち上がります。
先週末の内房ランの続き。鋸南町の源頼朝上陸地の碑。伊豆で挙兵して石橋山の戦いで敗れた頼朝は、小舟で安房に逃れ、ここから上陸したそうです。頼朝にとって再起の地、つまり徳川まで続く武家政権の出発点だということだそう。#鋸南 pic.twitter.com/qoeudAdUIt
— あきなか (@astory0533) September 7, 2021
JR「安房勝山」駅下車徒歩8分
千葉県安房郡鋸南町竜島165ー1
鎌倉幕府誕生後~比企能員の変
清泉小学校(神奈川県鎌倉市)
源頼朝が開いた鎌倉幕府の跡。現在は私立の小学校がある場所に、かつては侍所、公文所、門注所などがありました。小学校の側には「大蔵幕府(大蔵御所)跡」の碑が立っています。
JR「鎌倉」下車徒歩17分
神奈川県鎌倉市雪ノ下3-11
腰越海岸(神奈川県鎌倉市)
壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした頼朝の弟・源義経。しかし兄の怒りをかってしまい、鎌倉に入るのを許されず、対立してしまいます。
奥州に逃れた義経は自害。義経の首ははるばる鎌倉まで運ばれ、腰越の浜で和田義盛と梶原景時によって、本人かどうかを確かめる首実検が行われたと言われています。
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誰もいない腰越海岸。神戸川河口付近から、江ノ島と富士山を見渡すことができます。波の穏やかな波打ち際に片瀬の街の光が写り込んでいました。(1/9 ツイート担当者自宅近所にて撮影しています) pic.twitter.com/G6nEk6h0Cp
— 鎌倉ガイド協会 (@sfXNu9gpuIpY0x1) January 9, 2021
江ノ電「腰越」駅から徒歩で3分
神奈川県鎌倉市腰越海岸
妙本寺(神奈川県鎌倉市)
「鎌倉殿の13人」の中のひとり・比企能員の屋敷があり、比企一族の拠点だった場所です。比企能員は、幕府の主導権争いから対立。結果、北条時政率いる北条氏によって比企一族は、妙本寺のある比企ヶ谷で滅ぼされてしまいます。
比企能員さんの墓は鎌倉比企谷の妙本寺にあるので是非行ってあげてください。
「比企能員公之墓」ではなく「比企能員公一族之墓」になっているのかは察してください。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/m3dTvJKW26— Gonza@呉鎮守府 (@Gonza_Orc) November 16, 2020
JR「鎌倉」駅より徒歩15分
鎌倉市大町1-15-1
梶原景時終焉の地(静岡県静岡市)
十三人の合議制が始まってまもなく、梶原景時は御家人66名による連判状によって幕府から追放されてしまいます。梶原景時は上洛する途中、駿河国清見関で武士の襲撃にあい、梶原山で自刃したと伝えられています。
2022年の大河ドラマに出てくるはずの梶原景時終焉の地です。
標高279m、静岡市の清水区と葵区の境界にあります。
しずおかMM316局、いずNM167局
DCRでの交信ありがとうございました??? pic.twitter.com/XQbgq7mElG— こば (@KOBA16885496) August 30, 2020
実朝暗殺~承久の乱
鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)
鎌倉幕府・源頼朝が築いた場所。
源頼朝の子で、三代将軍・源実朝が暗殺される事件が起こった場所でもあります。主人公の義時も、ここで殺されるはずでしたが、具合が悪くなって別の場所で休んでいたため難を逃れました。物語では大変重要なシーンになりそう。
そして、公暁が実朝暗殺のときに、潜んでいたといわれるのが「大銀杏」こと「隠れ銀杏」。神奈川県の天然記念物にも指定されていましたが、残念ながら、2010年に倒壊してしまいました。
JR「鎌倉」下車徒歩10分
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
覚園寺(神奈川県鎌倉市)
鶴岡八幡宮で、三代将軍の実朝が暗殺。義時も殺されてしまうはずでしたが、その直前に具合が悪くなり退席し、難を逃れます。
なぜ具合が悪くなったのか?その理由と言われているのが、「白い犬の姿を見て気分が優れなくなったから」。その白い犬は、現在、鎌倉の覚園寺に安置されている戌神将 (伐折羅大将・ばさらたいしょう)が姿を変えたものとされており、義時に暗殺の危機が迫っていることを知らせたと言われているそう。
おはようございます??
鎌倉・覚園寺
秋は紅葉??が綺麗です pic.twitter.com/4WCMnD4Qr8— フジ花 (@meishoview) August 20, 2021
JR「鎌倉」駅下車、京急バス「大塔宮」行き「大塔宮」下車徒歩10分
鎌倉市二階堂421
宝戒寺 北条執権邸(小町亭)(神奈川県鎌倉市)
実朝が暗殺されたとき、義時は気分を悪くして退席。その時に帰宅したのが、北条執権邸(小町亭)と言われています。寺域は北条義時以来の歴代の北条得宗家の屋敷地跡で、今は寺院(宝戒寺)となっています。
2018/1/16#鎌倉旅#宝戒寺
北条氏の小町亭
北条執権邸
第四代将軍・藤原頼経御所訪れた日は丁度頼経サン旧暦ご生誕日
建保6年1月16日(1218年2月12日) pic.twitter.com/SrvxIBNyUP
— 志水426714?またまた通知不具合中 (@yoshitaka1197) January 23, 2018
JR「鎌倉」駅から徒歩約15分
鎌倉市小町3-5-22
公暁悲劇の道(神奈川県鎌倉市)
源頼朝の息子で、二代将軍源頼家の次男(つまり、頼朝と政子の孫)の公暁は、叔父である三代将軍・実朝を鶴岡八幡宮にて暗殺します。実朝を殺した公暁が逃走した時に使った道と言われているのが「公暁悲劇の道」。
建長寺の奥にある、回春院のさらに奥にある道。非常に分かりにくく、道なき道を進むような場所もあります。道路の整備状態も悪いそうで、現地の状況を知らない人が突然訪ね、散策するのは不向きと言えそう。
天気のよい昼間に、十分下調べをしたうえで、できれば現地のことをよく知る人とともに行動した方がいいですね
公暁悲劇の道~源実朝を暗殺した公暁が逃げた道~https://t.co/fxAxdncpfn pic.twitter.com/rQolQAWLxi
— 中世歴史めぐりyoritomo-japan.com/岡戸秀仁 (@SmileOkado) March 8, 2018
JR「北鎌倉」駅よりまたは徒歩約15分(建長寺)
神奈川県鎌倉市山ノ内8(建長寺)
承久の乱古戦場跡(岐阜県美濃加茂市)
承久の乱が行われた場所や陣の場所については、何度も繰り返された木曽川の洪水により、はっきりわかっていないそう。その中で最大の激戦地「大井戸の戦い」が行われた場所として古戦場跡が残っています。
承久の乱古戦場跡 pic.twitter.com/y1B60GI1a7
— ゆな (@hanawala) April 14, 2019
岐阜県美濃加茂市太田本町5丁目3 虚空蔵堂・木曽川スポット公園付近
JR美濃太田駅(南口)よりあい愛バスあまちの森・しょうよう線「太田小学校」下車 乗車時間約4分
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